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前田西前田原A丘陵の調査成果

ドキュメント内 浦添市文化財調査報告書 | 浦添市 (ページ 101-163)

第1節 調査の方法

 本地区(第 3 図)の調査前は、地表に腐葉土・崩落土などが大量に堆積しており、その中で地山 を直接掘り込んだ横穴式掘込墓の墓口やその上部が確認できる状況で、移転が終了したコンクリート 墓は 1 基のみ見られた。伐採や除根作業は、バックホウを用いた機械掘削で行い、その過程で沖縄 戦時のものと思われる砲弾片や戦後のガラス瓶などが多数確認されたことから、調査区では近現代の 攪乱が著しいことが想定された。

 機械掘削で墓正面や庭囲いが検出されると、順次人力掘削に切り替えて遺構細部の検出にとりか かった。前田・経塚近世墓群の遺構は、ほとんどが地山である細粒砂岩 ( ニービ ) の丘陵に掘り込ま れていることから、地山を検出することで概ね墓築造時および使用時の遺構面を検出することができ る。人力掘削の結果、調査区の丘陵から複数段にわたって横並びに墓が確認でき、合計 31 基の遺構 を検出した。遺構番号は確認した順に付している。なお、調査区の地山はニービと泥岩(クチャ)が 混在しており、同じ丘陵のなかでも両方の遺構が存在する。

 これらの遺構を検出した後、順次遺構内の掘削を進めた。その結果、調査区の墓はほぼ空き墓であり、

その大部分が避難壕として改築されていることが判明した。そのため一次葬人骨や蔵骨器がほとんど 見られず、沖縄戦前後のものと考えられる食器などの磁器類、水甕や鉄鍋といった日用雑器などが出 土の大半を占めていた。よって今回は、これらの遺物が大量かつ残存状態が良好で出土した墓につい て1/20 の実測図の作成を行い、遺物が伴わず比較的情報の少ない空き墓は略測図を作成した。写真 撮影は適宜、調査開始から完掘まで行った。

第2節 層序と遺構

 前節に記したとおり、本調査区は戦時中もしくは近現代の攪乱が著しいことが確認されたため、墓 の上部や墓前については、重機と人力による掘削によってこれらの土層の除去作業を行い、遺構面の 検出を行った。天井部分が崩壊している遺構は、墓室内に墓の天井部分を形成していた地山のブロッ クと表土層が混在し厚く堆積している状態であり、墓の入り口のみが埋没した墓の内部にはほとんど 埋土がない状態が確認された。このような状況であることから、本調査区では明確な層序関係を把握 することはかなわなかった。

 検出された墓などの遺構は、31 基である(第 36 図)。空き墓が多く、また壕に改築されたものが多い。

墓は丘陵ないし頂部付近でそれぞれ横並びに位置しており、その特徴については第 21 表にその概要 を記した。なお、墓室の類型については、第 1 表に準拠している。また表中の蔵骨器の有無は、比 較的良好な状態で出土したものを「蔵骨器有」としている。そのほか、壕改築の様相として、隣接す る墓同士を掘り広げ連結させているものが多いことが挙げられよう(2 号・28 号墓、13 号・14 号墓、

15 号・25 号墓)。その様相について、第 4 節の各墓の報告を参照頂きたい。

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第 36 図 前田西前田原 A 丘陵地形図

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第 21-2 表 西前田原 A 丘陵の遺構一覧表

第3節 遺物

 遺物は、総計で 1,470 点が出土した。出土遺物の数量と内訳は、第 22 表のとおりである。これま で述べてきたように、本調査区の墓はほぼ空き墓であるため、蔵骨器の出土が少ないのが特徴である が、遺物としては水甕、沖縄戦前後のものと思われる陶磁器類、瓦や煉瓦などが多く見られた。また、

壕として大幅に改築された遺構からは木片や金具など調度品の一部も出土している。遺物については、

基本的に墓毎に取り上げ作業を行った。以下に種類ごとにその概要を述べていく。

(1)墓関連遺物

 墓の発掘調査でよく出土する遺物として、蔵骨器や、簪や指輪、櫛、瓶といった副葬品が挙げられ る。しかし、今回の調査区である西前田原 A 丘陵においては、検出された遺構のほとんどが空き墓 であるために、前述したような墓関連遺物の出土が非常に少ないのが特徴である。

 蔵骨器は、総点数で 270 点が検出された。その全てが陶製蔵骨器であり、沖縄の那覇市壷屋産の ものであると考えられる。種類は家形・甕形に大別できるが、どちらも完形を保ったままの出土はみ られず、内訳の半数がマンガン釉甕形の破片であった。また、接合・復元できたものは蓋と身をあわ せて7点であり、うち蓋1点がボージャーであった。蓋と身のセット関係が把握できたのはマンガン 釉甕形の1セットのみである。今まで行われてきた前田・経塚近世墓群の発掘調査では、水甕やアン ダガーミを蔵骨器に転用する例がみられたが、本調査区においても水甕の出土は特に多い。しかしな がら、水甕の状態や出土状況からこれらが転用品であるとは言いがたいため、転用蔵骨器として扱わ ず次項において記す。

 副葬品として考えられる遺物もわずかであるが出土している。その内訳は、瓶、煙管、簪、櫛、銭 貨、歯ブラシである。いずれも出土は 1 〜 3 点にとどまり、墓室または墓室内床面直上より検出した。

(2)戦争関連遺物

 本調査区では、軍服ボタンや靴底などがみられる程度であり、ヘルメットや銃剣、薬瓶といったい わゆる戦争遺物の出土は非常に少ない。しかし、壕に改築された遺構より日用品が大量に出土したこ とから、これらを戦争関連遺物としてまとめ、種別ごとに様相を述べていきたい。

①水甕

 出土遺物のなかで、もっとも多かったのが水甕である。完形 3 点、破片 314 点に上る。破片は、

底部や口縁部など個体数に迫ることの可能な資料が多くみられ、判(窯印)のある資料も複数あった。

そのほとんどが、沖縄の那覇市壷屋産と考えられる。本調査区で出土した蔵骨器と異なり、壕に改築 されたであろう遺構から配置されたままの状態で検出した。人骨をおさめた痕跡は見られず、水甕の なかに食器類を重ねておさめられた資料もあることから、副葬品ではなく戦争関連遺物として報告す る。

②食器類

 出土遺物のなかで、完形を保ったままの資料が多かったのが食器類である。碗、皿、小杯、湯のみ などがみられ、多くは壕改築のあった遺構からまとまって出土したことから、副葬品や墓前などに共 献されたものではないと考えられる。多くは、戦中ないし戦後に配給・流通していたものであり、沖

ドキュメント内 浦添市文化財調査報告書 | 浦添市 (ページ 101-163)

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